BTOパソコンのBTOはBuild To Orderr略、すなわち受注生産ということですが、どこで注文してどこで生産されるのか、説明していきます。

ビジネスモデルを確立したのはDell

IBM PC/AT互換機は構成パーツが規格化されていて、パーツを集めれば誰でもパソコンを製造することができました。ここに注目し、パソコン製造に乗り出してきたのが、アメリカのDell、ゲートウェイ2000といった最初期のBTOパソコンメーカーです。BTOパソコンを販売するためには、何らかの受注窓口を設ける必要がありますが、当初は電話、FAXによる注文形態を取り、徐々に販売を拡大。インターネットの普及とともに、ネット通販のかたちでカスタマイズ受注を拡大し、特にDellは世界的なPCメーカーに拡大していきます。アメリカでは、BTOパソコンならDell、という代表的な存在です。

日本における特殊な事情

日本においては、日本語という2バイト文字を表記するために、ハードウェア的な工夫が必要であり、IBM PC/AT互換機をそのまま使用することができない状況が長く続きました。NECのPC-9801が漢字ROMをハードウェア的に実装し、日本語対応に先鞭をつけ、国民機としての地位を確立。パソコンの流通網も固定化していきました。最盛期の市場シェアは90%以上と言われ、価格的にも割高な状況で推移しました。IBM PC/AT互換機が広く流通し、パーツ単位での規格も統一され、ユーザーの手でパソコンのかたちまで組み上げることができたアメリカとは大きな違いがありました。いわば鎖国状態、この段階の日本では、BTOパソコンという方法は、成立し得なかったのです。

DOS/Vの登場

日本の状況を大きく変えたのが、1990年のDOS/Vの登場でした。DOS/Vはソフトウェア的に日本語表記を可能としたOSで、OSを走らせるパソコンとしては、世界標準のIBM PC/AT互換機を使うことができました。秋葉原など日本各地の電気街に、自作パソコンパーツを取り扱うショップが誕生し、自作パソコンブームが訪れます。IBM PC/AT互換機ベースであれば、PC-9801シリーズよりも明らかに、安価でかつ高性能なパソコンを手にすることが出来たのです。PCパーツを組み立ててパソコンとして販売する、というビジネスは、日本においてはこの各パーツショップのビジネスの発展形として産まれてきたものです。このため、日本におけるBTOパソコンは、各ショップの店頭が受注窓口として機能するかたちで発展していきます。BTOパソコンなら、ショップブランドPCという状況が生まれていったのです。

BTOパソコンならショップブランドPC

1990年代を通じて、日本で販売されるパソコンも、IBM PC/AT互換機をベースとしたものに変わっていきます。国内の大手パソコンメーカーもIBM PC/AT互換機の生産に切り替え、Dellのようなインターネット経由でのダイレクト販売の方向も模索しましたが、必ずしも成功したとは言えない状況です。主要な流通チャネルがいわゆる家電量販店となり、この販売ボリュームが非常に大きく、ダイレクト販売をためらわせる要因にもなったでしょう。EpsonDirectのように、ダイレクト販売専業のメーカーも現れましたが、日本の先進ユーザーは、最新パーツにこだわる傾向も強く、PCパーツショップが展開するショップブランドPCの優位性を崩すことは難しかったようです。ドスパラ、MCJグループといった大手PCパーツショップは、インターネット通販の手法も取り入れ、ショップブランドPCの販売を拡大して行きます。現在では中小規模のメーカーに匹敵する生産規模にまで到達しており、BTOパソコンならショップブランドPCという状況を確立していったのです。